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Ayako Hirano

「難しい」は難しい

私たちは日常生活の中で「難しい」という言葉を使う場面は、かなり多いと思います。

あまりにも生活の中になじんでいるので、あまり深く考えずに使いますが、

通訳をしていると、この「難しい」がなかなかの曲者だと感じる場面があります。


「難しい」と言う時、その難しさの内容や行動は実現可能でしょうか。


実現するのに大変な労力を要するという「難しい」の意味合いは伝わりやすいと思いますが、それ以外に「難しい」はやってみるけど実現は不可能に近い、でも、不可能という言葉を使うには、直接的すぎるから難しいという言葉で代用している場面があります。しかも、私も含めて日本語が母国語の人はよく無意識で使っています。

英語で難しいを直接訳すとhard やdifficultですが、その単語自体に不可能の意味合いは日本語ほど含まれていません。つまり大変だけど、取り組めばいつかはできるという意味にもとれるのです。


おそらくこれは日本語の直接否定的な表現を避けるというところに起因しているような気がします。言葉は文化的な背景に作られ時代によって変化もする変幻自在なツールですが、「難しい」はその典型的な例でしょう。できない訳ではないけれど、やってみないとわからない、でも実現可能性は限りなく低く、しかも「できない」や「無理」という強い言葉は使い慣れていないため、より柔らかい表現を無意識に代用しているかもしれません。


もし異なる母国語を話す人が集まる場で、実現可能性を問われた場合はどの程度の難しいなのか、少し注意してみてください。自分自身の表現だけでなく、会話の相手も自分の理解する「難しい」と違う意図を含んでいるかもしれません。「難しい」はどのくらいの難しさなのか、そこを具体的に話すことで、お互いの理解の相違に気づくかもしれませんし、考えがさらによくわかるようになってくるでしょう。








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