現在、期末試験中のわが子。苦手な科目とも毎日格闘しているようです。
そしてよく口にするのが、「なんで今これを勉強しないといけないの?」ということ。
親としては、義務教育の科目に入っているからという常套句や試験後の楽しみなどを引き合いに出しながら、消えそうなやる気スイッチを押す日々。
遠い昔の自分の学生時代を振り返ってみると、義務教育や必修科目で苦手な科目を学ぶことは、確かに苦痛でした。
私はいわゆる「理系」の科目、特に理科がどうしても苦手で、学生時代も必要にかられて勉強はしたものの、卒業後はすっかり頭の中から抜け落ちてしまっていました。しかも文系の私にとってはおそらく人生で使うことのない知識だろうと、決めてかかっていたふしがあります。
ところが、通訳の仕事を始めたとたん、この理科の基礎が必要な機会が何度もありました。これは本当に想定外で、通訳という仕事が言葉を理解するだけでは成り立たないということを実感しています。日本語で基礎を理解していなければ、英単語を知っていても、しっくりくる表現に落とし込むことができません。
技術的な資料に当たり前のようにでてくる物理や化学の基礎用語を、図面や写真を見ながら、基礎を調べ準備をしますが、中学時代に戻ったような気持ちです。
解説がわかりやすいこういう書籍も使ったりします。
そして、なぜ今よりも頭が柔らかかった時にきちんと勉強しておかなかったのかと、後悔の念も一緒に。
初等・中等教育で学ぶ科目には、それなりの理由があって私たちが学ぶということを、大人になって感じる場面にでくわします。私の場合は理科でしたが、他の科目の体験する方もいらっしゃるだろうと思います。
学生時代は自分の将来にどんな知識が必要になるかわかりません。
いつでも学びなおしはできますし、今はさまざまな情報へのアクセスも容易になりました。それでも、基礎知識が身についていると、突然やってくる学びなおししやすくなる、情報の取捨選択もしやすくなっていたはずだと、学生時代の必修科目の意義を今さらながら感じています。
平野さん、同感です。訪日外国人のガイド通訳の仕事をしていて同じことを感じています。例えば、なぜせっかく日本に来たのに富士山は見えないことが多いのか、日本の地形や気候、山々や川が及ぼす日本の文化、気候、産業、建築、食、植物、農業を説明するときなど、どれをとっても中学の時に苦痛だった「あの時の理科や化学」の知識をもっと理解していれば、、と感じることが何度もあります。中学での必須科目として学ぶにはそれなりに意味があったんだなと今更ながら感じています。なので私も子供向けの学習漫画で知識を得ています。